社 名 | 弘前東照宮 | 主祭神 |
鎮座地 | 青森県弘前市笹森町38番地 | |
由 緒 ・ 沿 革 | ||
寛永元年(1624年)お城から東方要害の地上渕川の辺に堀を構えて奉還し、一は城の堅めとし、一は庶民の信仰をあつめるために神域をつくり寛永5年(1628年)社殿を新たに造営し、別当寺院東照院(1654年)とし岩鬼山薬王院叡平寺(天台宗)と改称、六坊(坊とは僧侶の居所)を配し、桃井・山辺の二社家を置いて藩費直祭社として運営し、明治初年に至ったのである。 津軽藩2代藩主信枚公の正室として家康公の養女満天姫を迎え、東照公真影を拝載して天海僧正にお願いし、2代将軍秀忠公が許容され東照宮鎮座となった 現在北方には、仙台東照宮、弘前東照宮、函館東照宮、出羽三山東照宮がある。 廃藩後、明治3年(1870年)無氏子のため無格社となり、その後明治12年(1879年)郷社、明治14年(1881年)県社となる。現在は宗教法人東照宮となっている。 (由緒書より) |
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旧別当寺−岩鬼山薬王院叡平寺 |