前橋東照宮写真
社 名 前橋東照宮 主祭神
鎮座地 群馬県前橋市大手町3-13-19
由  緒 ・ 沿  革
 東照宮の創立は、結城秀康の四男の直基が松平姓を賜わり越前勝山城主に任ぜられた寛永元年六月六日に祖父である家康公の遺徳を敬慕して祭祀したのに始まる。
 以来、松平氏は幕府の命令により、寛永元年越前勝山(三万石)より寛永十年越前大野(五万石)、正保元年出羽山形(十万石)、慶安元年播州姫路(十五万石)慶安ニ年越後村上(十五万石)、寛文七年再び播州姫路(十五万石)、天和ニ年豊後日田(七万石)、貞享三年再び出羽山形(十万石)、元禄五年奥州白河(十五万石)、寛保元年三たび播州姫路(十五万石)、寛延ニ年上州前橋(十五万石)、明和五年武州川越(十五万石)、慶応元年再び上州前橋(十七万石)へとニ百四十余年間に実に十三回にも及ぶ移封に遇ったが、そのたびごとに東照宮を城地に奉遷して藩主はもとより藩士、領民に到るまで崇敬の誠を捧げた。
 即ち、享保ニ十年には藩主より社領としてニ百石が寄進され、社殿の造営は屡々の移遷のこともあって、慶安元年、寛文七年、元禄五年、同十年、宝暦四年、安永六年、嘉永八年の七回をかぞえ、現在の社殿は嘉永八年に武州川越において樹齢千年を超える一本杉の欅の巨木によって建造されたものと伝えられ、その用材は実に見事であり、本殿の彫刻は江戸の有名な彫師島村源蔵の作として知られている
 明治以降は、旧前橋藩士居住区域七ヶ町三千戸の鎮守として崇敬をあつめてきたが、昭和四年四月に県社に列せられた。
 配祀の天満宮は慶長六年、酒井重忠(慶長年間の城主)が厩橋城に入城したとき、城の戌亥の方、天神山に荒廃していたものを霊夢により修復して祭祀したのに始まり、その後酒井家の興隆が著しかったので俗に酒井の開運天神と称され、酒井氏累代の崇敬が極めて厚く、酒井氏移封の後は養行寺の所管となっていたものを明治四年四月二十三日に合祀したものである。
 長壁神社は古くは姫道刑部大神と称し、播磨の国の式内社であったものを寛延ニ年、松平朝矩(松平家五代の藩主)が姫路城内より奉遷して前橋城の未申の方、霞堀の畔に祭祀していたものを、明治三十一年一月二十一日に官令により合祀したものである。(由緒書より)

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