社 名 | 栃 原 神 社 | |
鎮座地 | 福井県吉田郡永平寺町栃原21-24 | |
祭 神 | 松平茂昭公 | |
由 緒 ・ 沿 革 | ||
社伝に「天正20年(1592)8月14日に栃原村五里山に天照大御神を鎮座し、神明神社と尊称した。後、元治元年(1864)に神明山に奉遷した。また白山神社は、天正5年(1577)3月14日に栃原村字堂ノ西に伊弉諾尊を鎮座し奉った。明治11年に神明山に奉遷した」という。 明治8年5月に松平茂昭公の神霊を神明神社に合祀した訳は、栃原村は、元文5年(1740)と寛政元年(1789)との両度の大洪水に遭い、その被害が甚大であったので、復興は思うにまかせず、年ごとに困窮し、ついに明治初年(1868)には、慘状その極に達した。 明治3年春、庄屋藤四郎が、藩士三岡八郎(由利公正子爵)を介して窮状を藩主松平茂昭公に哀訴した処、これを了解せられ、同年4月7日に特別免租の措置を下されたので、村民さらに奮起努力した結果、村を再興することが出来た。 その喜びと藩主茂昭公の恩徳を永く賛えようと毎年4月7日に殿様祭りを盛大に行っている。 明治44年3月30日に神明神社と白山神社とは上浄法寺村の浄法寺神社に合併した しかし、書類上の合併で、旧来通りに祭祀が執行されていた。 大正9年に神明・白山両社殿が老朽化したので、神明神社の社地に社殿を改築し両神社を合祀して栃原神社と尊称することとなり、同年9月20日遷座奉祝祭を行った。 大正15年4月17日に屋根瓦葺替工事の折、松平侯爵家の承認を得て棟瓦に葵紋をつけた。氏子一同、崇敬の念篤く祭礼一段と賑わっている。 |