社 名 | 佐 佳 枝 廼 社 | |
鎮座地 | 福井県福井市大手3丁目12-3 | |
祭 神 | 松平秀康公・松平慶永公 | |
由 緒 ・ 沿 革 | ||
寛永5年(1628)福井城内の天台宗万福山泉蔵院瑠璃光寺北に、社殿を建立し、東照宮権現様(徳川家康公)をお祀りしたのに始まります 明治6年、福井藩祖松平秀康公の御偉業を称えて、お祀りするにあたり、春嶽公により社名を佐佳枝廼社と命名されました。 明治14年県社に列せられ、明治24年11月11日、そのご遺徳を景仰して松平慶永公を合祀奉りました。 以後、昭和15年の春嶽公50年祭には、勅使を遣わせるなど、皇室の御崇敬も厚く福井の氏神様として、社頭は賑わいを見せておりましたが、昭和20年の大東亜戦争による空襲、また昭和23年の福井地震と二度に渡る戦災・震災で御社殿付帯施設一切が焼失しました。 しかし、すぐにも復興の気運が高まり、翌24年、岡田啓介。三井e子氏松平康昌氏らの御助力により、京都市下鴨にある三井家祖霊社を譲り受け、拝殿として移築復元し、また、昭和30年には先の災害を鑑みて、北陸初の鉄筋コンクリ−ト造り、入母屋造りの御本殿が造営されました。 戦後、当神社は、福井市の要請のもと、大陸から引き揚げて来られた方々、戦災で焼き出された方々のために、境内の一部を提供し、当初は、門前町として浅草の仲見世通りにも匹敵する商店街をと希望しておりましたが、震災後の都市計画による減歩された土地での仲見世は、戦後40年をを経過、建物の老朽化が進み、福井市中心部としてふさわしい景観を望む声が高まり、様々な案が検討された結果、神社を含む再開発という全国でも初の大事業が、平成元年3月、着工致しました。3年余に渡る大工事の末、平成4年4月17日に竣功致しました。(由緒書より) |