福井神社写真
社 名 福 井 神 社
鎮座地 福井県福井市大手3-16-1
祭 神 松平慶永公
由   緒 ・ 沿   革
 福井神社は昭和58年10月10日、40年式年大祭を執り行った。同18年幕末の名君とうたわれた第16代福井藩主松平慶永(号は春嶽)を祭神として創建されてから、40年の歳月を数えたことになる。県民の父祖を率いて維新の大業に参画した春嶽公と、公に従って国難に赴き、摂社恒道神社に祭られている郷党の秀でた先輩中根雪江、鈴木主税、橋本左内の魂の鎮まる境域は福井市の中心にある旧福井城内の霊域である。
 幕末回天の偉業に参画して功績を挙げた維新諸公のうち、水戸藩主徳川斉昭公は水戸常磐神社に、薩摩藩主島津斉彬公は鹿児島市照国神社に、長州藩の宗主毛利敬親公は山口市野田神社に、土佐藩主山内容堂公は高知市山内神社に、佐賀藩主鍋島閑叟公佐賀市佐嘉神社に、いずれもそれぞれの郷土において、いち早く別格官弊社として奉祀された。
 これら諸候は外様大名であったため、王事にいそしむことに何の障害もなかったが、春嶽公は徳川家に血縁近く、福井藩は藩祖以来の有力な親藩であった。にもかかわらず春嶽公は維新の大義に徹し、一切の困難を克服して国事を遂行された天下第一等の人であり、名君と謳われたのである。
 明治維新以来の難局といわれた大東亜戦争の最中、郷土出身の岡田啓介元首相や地元の熊谷太三郎福井市会議長らが中心になって、春嶽公を主神とする別格官弊社創建運動が熱心に行われ、春嶽公のご偉勲が改めてご叡聞に達し、昭和18年9月福井神社は別格官弊社に列せられたのである。10月9日勅使が参向して列格奉告祭、10日には例祭、11日には奉祝祭が挙行され、郷土の感激は最高潮に達した。戦後官弊社制も廃止されたので、福井神社は最後の別格官弊社として名を留めることになった。
(由緒書より)

戻る