仙岳院
寺 名 仙 岳 院 
住 所 宮城県仙台市青葉区東照宮1-1-16
宗 派 山  号 院  号 寺  号
天台宗 眺海山 仙岳院 康国寺
  せんがくいん  
 縁  起 ・ 沿  革  
 1654年(承応3年)仙台藩2代藩主伊達忠宗公が、徳川幕府に願って東照宮を勧請。その別当寺として康国寺(東叡山寛永寺末)を創建しました。仙岳院はこの康国寺の塔頭寺院でした。
従って正式には眺海山康国寺仙岳院と称すべきなのですが、藩政当時から康国寺を仙岳院と呼び習わしていたようです。子院として延寿院(現存)、宝蔵院、成就院、吉祥院、それに徳川将軍家位牌所の真浄殿がありました。創建当時、東照宮の祭祀料として50貫文(500石)仙岳院関係に50貫文、合計100貫文(1,000石)を忠宗公は仙岳院に管理させました。後には東照宮64貫500文(645石)、仙岳院64貫500文7人扶持と真浄殿供養料に150石、総計1,440石となっています。忠宗公をはじめ歴代藩主のお墨付きも現存しています。東照宮遷座式には伊達騒動の立役者の原田甲斐守が奉行を勤め、その時の布施は二万両でした。これらの事は、仙台藩がいかに幕府に気を使ったかを教えています。開山、最教院僧正晃海大和尚(天海僧正)の法嗣・東叡山寛永寺本覚院開山)以来、歴代、平泉中尊寺別当を兼ね、仙台藩一門格筆頭寺院として明治に至り、神仏分離により東照宮と分かれました。慶応4年(明治元年1868年)7月2日より10月12日まで輪王寺宮公現法親王(北白河宮能久親王・明治天皇の弟)が戊辰戦争の難を逃れ滞在。この地から京都へ向かわれています。「伊達忠宗公 1681(延宝9年)作 現存する忠宗公木像は仙岳院所蔵の物のみと思われる」(由緒書より)
 

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