光雲神社写真
社 名 光雲神社 境内末社(廃絶)
鎮座地 福岡県福岡市中央区西公園13-1
由  緒 ・ 沿  革
 当社は筑前福岡の黒田氏が勧請した東照宮で、現在の福岡県福岡市中央区西公園にあった。
 東照宮は承応元年(1652)忠之が荒津山に社殿を建立し勧請した。別当松源院、社領3百石、末庵三坊、宮仕二人、掃除之者二人が奉仕した。寛文9年には御霊屋ならびに別当源光院も創建された。
 明治維新後、東照宮は廃絶され山中は荒廃した。明治14年、地元民の願いにより一帯は整備されて荒津山公園となり、同42年、黒田孝高・長政を祭神とする光雲神社が東照宮の跡地に移転され、境内に末社として東照宮も建立された。しかし昭和20年、空襲によって一帯はは焼失し、同21年光雲神社は復興されたが、東照宮は再建されず現在に至っている。
 なお同神社の正面に建つ石鳥居は、旧東照宮の鳥居で、昭和四十四年、現在地に移築する際に柱の基底部に日光東照宮に奉納した石鳥居の試作品である旨の墨書が発見されている。
(家康公と全国の東照宮 高藤晴俊 著より)

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