諏訪神社境内末社東照宮写真
社 名 諏訪神社 境内末社
鎮座地 長崎県長崎市上西山町18-15
由  緒 ・ 沿  革
 東照宮は、初め長崎立山町にあった安禅寺(現廃寺)境内に勧請された。承応元年(1652)僧玄澄は安禅寺の開創に当たり、江戸に出て毘沙門堂公海に拝謁、狩野探幽筆の御画像を狩野宗貞に写させたものを賜り、帰りて寺内に奉祀したと伝えられる。寛文12年(1672)正月16日の夜半、山鳴りや地動きがして、白光が堂に満ち、日輪のような形を現したという。この年の秋に着任した長崎奉行牛込忠右衛門勝登は、この寺に参拝してその話を聞き、寺の上方の土地に東照宮の社殿を建立した。寛文13年1月16日に着工し、同年10月16日に竣工このとき東照宮の社殿のほか御霊屋・二王門・鐘楼・本堂・庫裏・僧坊などが備わった。
 これ以後東照宮は代々の長崎奉行をはじめ士庶の崇敬を受け、幕末には勝海舟が参拝し脇差を奉納している。
 明治以降、これに奉仕する社掌もなく社殿が荒廃したので、一時諏訪神社に合祀されたが、明治30年に社殿が再建され、長崎地方官高木忠悦が社掌に任じられたが、同四13年長崎総町集会のうえで諏訪神社の末社となり、今日に至っている。社殿は三間一戸の入母屋造、素木であるが立派な社殿で、正面には石鳥居がある。
 なお諏訪神社では宝暦年間より毎年正月に境内の井戸の若水を汲んで、東照宮に奉納する神事が行われていた。
(家康公と全国の東照宮 高藤晴俊 著より)

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