眞田神社写真
社 名 眞 田 神 社
鎮座地 長野県上田市二の丸1-12
祭 神 松平忠山公・忠昭公・忠周公・忠愛公・忠順公
  忠済公・忠学公・忠固公・忠礼公
由   緒 ・ 沿   革
 古代よりこの地には、天地四方を祭る「六所明神」が鎮座せられ、国のまほろばとして尊ばれておりました。
 天正の時代に至り、戦国の雄 真田昌幸公は、この霊地を当地方の礎となすべく、築城の適地として定め、天下の名城「上田城」を築かれました。
 その後、上田合戦、関ヶ原籠城と二度にわたって大軍を相手に真田の知恵をしめしました事は、今も歴史に燐然と輝いております。
 以来、城の主は仙石氏、松平氏と替わり、やがて明治維新を迎えますが、城の建物も土地も明治政府の方針により、ことごとく売却されることになりました。
 この時にあたって敢然と立ち上がった人々がおりました。由緒ある名城、当地方の誇りでもある上田城が、まったくその姿を消すことを惜しむ郷土を愛する人々。その志に感じて一度買い取った本丸の土地を寄付した篤志家。先人たちの努力により、本丸に代々の藩主を祭る神社が建立され、それによって城跡も今日見る姿に残ったのであります。
 現代まで続く当地の繁栄は、真田昌幸公の築城に始まり、その近代化は、上田のシンボルであります上田城本丸に、この神社を祭る事から始まったと申せましょう
 そして今、この地域はマルチメディアの拠点として世界にはばたこうとしております。
 マルチメディアは現代の知恵であります。智将 真田昌幸公・幸村公をお祭り申しあげます当神社を中心に、歴史に輝く上田城、近代文化花開いた城下町とその周辺、それらをとりまく自然、そこには智恵を育てる活力が満ち満ちております。これを形に表し、御神紋「六文銭」「永楽通宝」「五三の桐」に加えて 智 を新たな神社の象徴といたしました。
(由緒書より)

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